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渥美清的映画
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続・男はつらいよ

松竹/93分/1969年(昭44)11月15日公開 <第2作>
原作 山田洋次 脚本 山田洋次・小林俊一・宮崎晃 監督 山田洋次
撮影 高羽哲夫 音楽 山本直純 美術 佐藤公信
共演-倍賞千恵子・森川信・三崎千恵子・前田吟・太宰久雄・笠智衆
ゲスト-佐藤オリエ・東野英治郎・ミヤコ蝶々・山崎努
同時上映「喜劇・よさこい旅行」監督:瀬川昌治 出演:フランキー堺、倍賞千恵子
動員数48万9000人/ロケ地・京都、三重

キネマ旬報BEST10第9位
第24回毎日映画コンクール・監督賞/山田洋次、同・主演男優賞/渥美清
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★「男はつらいよ」第2作。

前作の第一作から約2ヶ月半後の公開。シリーズ化になった要因は第一作が大ヒットしたからではなく、たまたま「とらや」のセットがまだ残っていたから、だとか・・・。

トップシーンは寅の夢から始まる。
シリーズ中期からトップシーンは寅の破天荒な夢から始まるのが定番となって行ったが
この第二作目の夢のシーンはこれからの物語に深く関わる内容で寅次郎が母親を夢想するシーンとなっている。ここで寅の母親を演じているのは風見章子である。

やがて夢から醒めた寅次郎が居るのは、古びた旅館の布団の中。外の駅舎前を蒸気機関車が走り抜けていく。寅はオナラをブーとふかして笑いを取ってメインタイトルとなる。

お馴染み「男はつらいよ」の主題歌は同名で渥美清が歌っている。

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「男はつらいよ」
作詞-星野哲朗
作曲-山本直純
唄-渥美清

<セリフ>
私、生まれも育ちも葛飾柴又です。帝釈天でうぶ湯を使い姓は車・名は寅次郎、
人呼んで、フーテンの寅と発します」

<一>
俺がいたんじゃお嫁なゃ行けぬ
分かっちゃいるんだ妹よ
いつかおまえの喜ぶような
偉い兄貴になりたくて

奮闘努力の甲斐もなく
今日も涙の今日も涙の
日が落ちる日が落ちる


<二>
ドブに落ちても根のある奴は
いつかは蓮の花と咲く
意地は張っても心の中じゃ
泣いているんだ兄ちゃんは

目方で男が売れるなら
こんな苦労もこんな苦労も
かけまいにかけまいに

男というものつらいもの
顔で笑って顔で笑って
腹で泣く腹で泣く

男というものつらいもの
顔で笑って顔で笑って
腹で泣く腹で泣く

<セリフ>
「とかく西に行きましても東に行きましても、土地土地のお兄貴さんお姉さんに
ごやっかいかげがちなる若造です。
以後お見苦しき面体お見知りおかれまして
恐惶万端ひきたって、よろしくおたの申します」

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第一作のタイトルバックには前口上から一番の歌詞まで使われていた。
この第二作はさすがに妹は嫁に行ってしまった訳なので前口上の後は二番の歌詞から使われている。そして本作から寅次郎は腹巻きにお守りぶら下げて素足に雪駄のスタイルとなっている。

とらやに久し振りに戻った寅次郎だが前作公開から二ヶ月半しか経ってない故か寅は「旅の途中で立ち寄った」だけだと言って立ち去ろうとする。引き止めるおいちゃん達に言う科白が大変おかしい。

おいちゃん「・・・とにかくな、奥で茶一杯、それくれーなら良いだろう」
寅「それがいけねぇーのよ、一杯が二杯になり三杯になる。団子が出るか、また茶を飲むか、その内酒になるじゃないか、俺は一杯や二杯じゃすまねぇーぜ、気が付いたらこれにお銚子がズラーっと並ぶ、あっ、もう腰が立たねぇーや、いっその事泊まっていくかー、からすカーと鳴いて朝になる。おはよー、またお茶を下さい。二杯になる、三杯になる、団子が出るか、酒を飲む、・・・どうする、俺は旅に行けなくなるじゃないか」

渥美清の一人口上はやはり絶品である。ポンポンと出てくる小気味よい言葉に惚れ惚れと聞き入ってしまう。

そんなわけでとらやを後にした寅次郎、江戸川の畔を歩いていると小学校時代の恩師の家に気づく。玄関入ると東野英治郎演ずる坪内先生がいる。再会を喜んでいるところに佐藤オリエ演ずる娘の夏子が戻ってきて寅は一目惚れ、いつもの筋運びとなっていく。

「美味いものを食べすぎた」寅は腹痛を起こして入院。山崎努演ずる医者とのやりとりで「テメーさしずめインテリだなー」の科白が初登場。訪ねて来た弟分の登と病院を抜け出して焼き肉屋へ。しかし二人とも金を持って無く無銭飲食で警察のご厄介に。一晩泊まって翌朝、坪内先生に詫びを入れて再び旅へと出る。

一ヶ月後京都で旅行に来ていた坪内親子が寅と出会う。そして京都に寅の生みの親が居ることを知る。夏子と共に寅はホテルで働いているという母親に38年間振りに会いに行く。
着いた場所は連れ込みホテル。そこの従業員の風見章子を母親と思い込む寅と夏子。しかし実際は連れ込みホテルの女将、ミヤコ蝶々が寅次郎の母親だった。「何やっ、金を無心に来たんかっ!」と罵る母親。「お前が実の親でなかったらぶん殴ってる所だっ」と涙声で立ち去る寅次郎。

ミヤコ蝶々は1920年東京都中央区日本橋生まれのこの時49歳。ミヤコが0歳のときに両親が離婚、父親と兵庫県神戸市へ移住し、元町で小さな家具屋を営んだ。父は芸事が好きで新内節を唄ったり寄席芸人を招いては宴を楽しんでいた。昭和2年、父親の思いつきで芝居一座を結成し、娘を座長にさせた。九州の炭坑町の小さな劇場で安来節を唄い、初舞台を踏む。その後もあらゆる芸(漫才、喜劇、女剣舞、バレエ、三味線など)を身に付ける。
昭和17年吉本興業入りし一座を解散、三遊亭柳枝と結婚した。終戦後は柳枝劇団を旗揚げするが、柳枝の浮気が元で離婚。 昭和22年に弟子だった鈴夫(のちの南都雄二)と再婚、「蝶々・鈴夫改め上方トンボ」として夫婦漫才コンビ結成、昭和27年に秋田實の宝塚新芸座に参加し、大阪・道頓堀の中座を拠点に活躍。民間ラジオ放送草創期の人気番組『漫才学校』『夫婦善哉』の司会などで知名度を上げ、昭和30年に始まった「夫婦善哉」はラジオからテレビへと20年の長きにわたって続く長寿番組となった。
雄二とは「おしどり夫婦」と思われていたが、内情は雄二の浮気癖で早くから家庭内は不毛であったという。その後離婚したが、雄二とは公私共に付き合いは続き、昭和48年に雄二が糖尿病を悪化させ亡くなるまで一切の面倒を見たのは蝶々だった
昭和49年に道頓堀の中座で1ヶ月公演を実施、脚本・主演・演出の3役をこなした。 大好評であったことからその後25年間定期公演を続けるという偉業をなし遂げる。その一方でタレントとしても『2時のワイドショー』での辛口コメントなどで健在ぶりを発揮していた。
1984年(昭和59年)に紫綬褒章を、1993年(平成5年)に勲四等宝冠章を受章。
昔から腎臓に持病があり、晩年は車椅子で移動しないといけないほど体調も悪化、平成12年10月12日に慢性腎不全で、大阪市の病院で死去。享年80。亡くなった後も関西地方では根強い人気があり、大阪府のひったくり予防キャンペーンのCMにかつての映像が登場するなど、親しまれている。

寅は宿で東野英治郎と泣き明かす。明日一緒に東京へ帰ろうと誘う夏子に折りたたみの座椅子から腰を上げて肘で座椅子に腕をかけて寅が科白を言う。喜劇と悲劇は紙一重。
「・・・お嬢さん、心の張りを無くしちまったこのオイラに帰って行く所なんてある訳ないじゃないか・・・ハハハッ」バタッと背もたれが倒れて転ける寅。咳払いをして奥の障子に背を持たれるとまた倒れて庭に転げ落ちてしまう。「落っこちちゃった」笑いながらまた泣き出してしまう。この一連の動作を見ていると渥美清はやはり浅草の舞台からの叩き上げの喜劇役者なんだと納得できる。

柴又のとらやへ意気消沈した寅が戻ってくると夏子から先に連絡が入る。どのように傷心の寅を迎え入れたらよいか思案するとらやの人達。前田吟演ずる「さしずめインテリ」っぽい博が諭す。

博「・・・ただ大切なことはお兄さんにお母さんのことを思い出させないと言うことです。」
つね「・・・と言うと・・・」
博「例えばですねぇ、お母さんとか母親とかお袋とか、こういった言葉を口に出してはいけません、絶対に」
おいちゃん「・・・マアそれくらいの事なら簡単だよな」
そして夏子に腕を抱かれてハンカチで目頭押さえた寅が店に入ってくる。
奥座敷に落ち着いてまずはつねがさくらの子供・満男に対して「あーやっぱりお母ちゃんの方がいいかい」・・・咳払いする博。しかし当の博が「・・・この子の顔を見にお袋が来たでしょ」テレビを点ければ「お味噌ならハナマルキ、お母さーん」のCMが。最後はタコ社長が入ってきて「・・・寅さん聞いた聞いた、京都でお袋さんと会ったんだってぇー」
後年何度も踏襲されるパターンであるが初回はそれほど面白くはない。寅自身が当事者である故か喜劇としては少し弱いシーンとなってしまっている。

この後は寅と坪内先生と娘夏子との交流が描かれていく。その間に夏子と山崎努演じる医者が喫茶店で会うシーンが挟まりいつものパターンを予感させる。
体を悪くした坪内先生の頼みだと言うことで寅は江戸川で鰻を釣る。この間佐藤蛾次郎演じる源公がずっと付き合っているのだが、今回源公は京都でも寅と行動を共にしている。第一作では笠智衆の下で働いている設定だったはずなのだが・・・。

奇跡的に鰻が釣れてしまい大喜びで寅が坪内宅に戻ると東野英次郎は息を引き取っている。
「男はつらいよ」の長いシリーズの中で脇役が死んでしまう設定はこの作品だけではないだろうか?
この坪内先生の死はどうにも唐突である。伏線もほとんど無い。どうして「死」が必要なのか分からない。ミヤコ蝶々の冷たい母親と温かい恩師である東野英次郎がリンクしていればそれなりに意味が出てくるとは思うのだが・・・。

東野 英治郎は1907年群馬県富岡市の造り酒屋の家に生まれた、この時62歳。旧制富岡中学卒業後、明治大学商学部に入学。大学在学中にマルクス主義に傾倒して左翼運動に参加するようになり、1931年にプロレタリア演劇研究所第一期生となる。左翼劇場の参加を経て1934年、新築地劇団に入り、『恐山トンネル』で初舞台。本庄 克二の芸名で『土』などの舞台に主演したほか、同劇団の書記長、企画部長も務め、劇団の中堅俳優となった。1940年8月19日の新劇弾圧で八田元夫、池田正二らとともに検挙されるが不起訴処分となった。同劇団は8月23日に強制解散された。また、この時に当局の命令で本名の東野 英治郎に改名させられ、それ以降の芸名とした。戦時中は映画界に入り、田坂具隆、内田吐夢らと映画製作にかかわったり、自ら映画に出演した。
1944年、小沢栄太郎、千田是也らと共に俳優座を結成。終戦時は俳優座の移動演劇団・芙蓉隊に加わっていた。戦後は『夜の来訪者』『ハムレット』などの舞台に出演し、小沢らと並ぶ劇団の中核として活躍。俳優座劇場設立にも尽力し、同劇場取締役を務めた。
戦後から映画に多く出演し個性的な名脇役として活躍、出演本数は330本以上にのぼる。黒澤明の『七人の侍』『用心棒』、小津安二郎の『東京物語』『秋刀魚の味』、そのほか『楢山節考』『人間の條件』『キューポラのある街』『白い巨塔』など、一流監督の名作に出演し、日本映画界を代表するバイプレーヤーとなった。主に悪役として活躍していたが、善人などを演じることも多く、その演技の幅は広い。
また、テレビドラマでも活躍しており、特に長寿番組であるTBS系列の時代劇『水戸黄門』で、主役の徳川光圀を番組開始の1969年8月4日から1983年4月11日までの足かけ14年、全381回にわたって演じ、「じゃがいも黄門」の名で親しまれた。1982年7月、高齢による気力体力の減退等を理由に黄門役から降りることを表明し、西村晃にバトンタッチした。
1990年からは日本新劇俳優協会会長を務める。その後も散発的に俳優活動を行っていたが、1994年9月8日、東京都国分寺市の自宅で心不全のため死去。86歳没。

映画に戻り、坪内先生の葬式で悲しみに暮れる夏子を医者が抱きしめている姿を寅は目撃してしまう。寅は失恋してしまったのだ。
葬式が終わり夕方の電気の点いていない店に、とらやの人々が帰ってくる。

<カットは入り口向けの未だ電気の点いていないロングショット>
おいちゃん「・・・いやー寅の顔を見るのが切なくて切なくてなー、」
博「辛かっただろうナー、まったく同情しちゃうなー」
つね「火葬場でお骨が焼けるのが長かったこと、ねー」
さくら「私お兄ちゃんと顔合わせなかったわ、気の毒で」
<このあとカットは座敷向きに切り替わっておいちゃんの左寄せのバストショットになる。右側の暗部が不気味である>
おいちゃん「ああいうのを三枚目って言うんだよな、絵に描いたようだよ。・・・源ちゃん早く点けろよ」
<室内に灯りが点くと一人佇んだ寅が素っ頓狂な顔つきでこちらに顔を向けている>
おいちゃん「(寅には気づかず)だから俺は言わんこっちゃねーってんだよ、ホント馬鹿だねぇー」

ここの電気が点いたときの渥美清の表情は抱腹絶倒ものである。そしてそれに続くおいちゃん役の森川信のリアクションも絶品。自分の後ろにまさかの寅が居るとは・・・後を気にして、まさか居るはずはないと思い・・・でも居たらどうしょう・・・恐る恐る後ろを振り向けば寅が居る。思わず腰を抜かしてしまうその一連の演技は、渥美清と同様舞台役者を何年も演じた者でないとここまで体現出来ないだろうと思われる。

そして二階に上がっっていく寅次郎。しばらくしたら旅姿になって降りてくるのかと思ったら違った。
暗い部屋でさくらに泣きながら悲しみを吐露するのである。

この第二作では寅次郎の人目憚らずに泣く姿が多い。
母親に裏切られて泣き、恩師の急死に泣き、振られて泣き・・・。

山田洋次は第二作で悲喜劇を目指したのかもしれない。



<参考文献「知られざる渥美清」大下栄治「おかしな男渥美清」小林信彦>
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